こんにちは、あいです。
伊勢市からJR紀勢本線で約20分、近鉄なら名古屋方面・大阪方面の特急が必ず停まる 松阪市。伊勢神宮の参拝で来てくれた人にとっては「通り過ぎる駅」になりやすいんですが、駅から徒歩15分ほどの範囲に 江戸期の城下町の骨格 がほぼそのまま残っている、ちょっと特別な町です。
今日はおじいちゃんと一緒に歩いてきた、松阪駅から松坂城跡までの 「路地のリズム」 を、在住者目線でゆっくり整理してみますね。観光ガイドで紹介される名所だけじゃなく、その間をつなぐ細い道の表情まで含めて記録してみたいと思います。

まずは町の名前の話 ― 「松阪」と「松坂」
歩き出す前に、地味だけど大切な話を一つ。
現在の市名は 「松阪市」(こざとへんの「阪」)ですが、城跡や歴史用語では 「松坂城」(つちへんの「坂」)と書くのが正式です。1889年(明治22年)の市町村制施行のときに行政上の表記が「松阪」に統一されましたが、近世以前の史料や、城そのものの呼称は「松坂」のまま残った ― という経緯だとおじいちゃんに教えてもらいました。
「町の名前と城の名前で字が違うのは、書き間違いじゃなくて歴史の地層なんだよ。歩くときに看板の字を見比べてみるといいよ。」
なるほど、と思って歩くと、本当に「松阪」と「松坂」が看板ごとに使い分けられていて、ちょっと面白いです。
松坂城跡 ― 蒲生氏郷が築いた野面積みの石垣
散歩の起点としてあたしがおすすめするのは、松坂城跡(国指定史跡) です。松阪市公式サイトの解説によると、松坂城は1588年(天正16年)、近江日野から移ってきた 蒲生氏郷(がもう うじさと) によって築かれました。本丸・二之丸・三之丸が階段状に配され、現在は天守などの建物は残っていないものの、「野面積み(のづらづみ)」と呼ばれる、自然石を積んだ豪快な石垣 がそのまま残っています。
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出典: Saigen Jiro, Wikimedia Commons / CC0
野面積みは、加工していない石をそのまま組む古い工法で、表面はゴツゴツしていますが、実はとても排水性が良くて崩れにくい ― という性質があるそうです。石垣の上に立つと、伊勢平野と、晴れた日には遠く伊勢湾まで見渡せます。
公園としては誰でも自由に入れますが、石垣の縁には柵がない場所も多いので、端まで近寄らない・走らない は本当に大事です。おじいちゃんも、「松坂城跡は『お城公園』というよりは『遺跡』だと思って歩くといいよ」と、いつもブレーキ役をしてくれます。
御城番屋敷 ― 現役で人が住む、江戸期の組屋敷
松坂城跡のすぐ南側に下りると、突然、空気が変わります。御城番屋敷(ごじょうばんやしき) です。
文化庁の国指定文化財データベースによると、御城番屋敷は1863年(文久3年)に建てられた、紀州藩の 「御城番」と呼ばれる藩士たち とその家族のための組屋敷で、東棟・西棟が向かい合う形で並んでいます。国の重要文化財(建造物) に指定されていて、しかも驚くべきことに、今もご子孫の方々が実際に住みながら維持されている 現役の住居です。

両側に槇(まき)の生垣が続いて、その間を石畳の細い道がまっすぐ伸びていく ― この景色は、観光地として整備されたものではなく、150年以上、住人の生活と一緒に維持されてきた結果として残っているもの です。
なので、歩き方には少しだけ気をつけたいことがあります。
- 槇垣の中は私有地。柵越しの撮影はOKでも、敷地に踏み込まない
- 早朝・夜間は 生活音への配慮(静かに歩く)
- 1棟だけ一般公開されている 西棟北端の家屋 で内部を見学できる(公開時間は松阪市公式観光サイトで要確認)
おじいちゃんは、「ここは『撮りに来る場所』じゃなくて、『歩かせてもらう場所』だよ」と、毎回同じことを言います。観光案内で見るあの一直線の景色は、確かに絵になるんですが、その美しさを支えているのが住んでいる人たちの日常だ、ということを忘れないでいたいなと思います。
本居宣長旧宅「鈴屋」と本居宣長記念館
御城番屋敷から少し戻って、松坂城跡の本丸跡まで上がると、その一角に 本居宣長旧宅「鈴屋(すずのや)」 が移築されています。
本居宣長記念館の公式案内によると、宣長は1730年(享保15年)に松阪の魚町で生まれた 江戸期の国学者 で、35年かけて『古事記伝』全44巻を完成させた人物です。鈴屋は宣長が書斎として使っていた二階の小部屋で、もともとは魚町の自宅にあったものを保存のため明治期に城跡内に移築したものです。国の特別史跡 に指定されています。

旧宅の隣には 本居宣長記念館 があって、宣長の自筆原稿・蔵書・遺愛の品などが展示されています。神宮や古事記について「もう一歩だけ深く」知りたい人には、参拝の前後に立ち寄る価値がある場所です。
ちなみに、宣長が向き合った『古事記』には、伊勢神宮の起源につながる 倭姫命(やまとひめのみこと)の巡行 の話も登場します。式年遷宮の意味を考えるときに、宣長が松阪で読み解いた古典が背景にあると思うと、町の重みが少しだけ変わって見えます(式年遷宮の全体像は 第63回神宮式年遷宮の全体像 にまとめました)。
商人町の路地 ― 魚町・本町・中町のリズム
松坂城跡から駅方向へ戻る道は、城下町の 商人町エリア を抜けていきます。松阪は 三井家発祥の地 としても知られていて、本町・魚町・中町といった旧町名の通りには、今も土蔵や格子戸の町家がぽつぽつと残っています。
おじいちゃんと歩いていて気づいたのは、城下町の路地には独特の 「リズム」 があるということでした。
- 直角に曲がる: 防衛のため、見通しを切る城下町特有の道筋
- 間口は狭く、奥に長い: 「うなぎの寝床」と呼ばれる町家の作り
- 路地の幅は人がすれ違える程度: 馬や荷車を意識した昔のスケール感
- 角に小さな祠やお地蔵さま: 暮らしと祈りの距離の近さ
「観光名所を点で巡るより、点と点の間の路地のリズムを感じる方が、城下町は面白いんだよ。」
そう言うおじいちゃんの歩き方は、ちょっとゆっくりで、看板も道端の石も、一つひとつ見ながら進んでいきます。あたしも真似して歩いてみると、確かに、観光ガイドには載らない景色 ― 古いタイル張りの理髪店、木の電柱、雨樋の細工 ― がどんどん目に入ってくるようになりました。
おじいちゃんと歩いた、朝の松阪
先日、朝8時ごろの松阪を一緒に歩きました。日曜日だったこともあって、城下町エリアはとても静かで、御城番屋敷の石畳には、まだ朝の湿り気が残っていました。
「松阪はね、観光地として頑張りすぎていないところがいいんだよ。住んでいる人の町のままで、ちょっとだけ歴史を見せてくれる。」
その言葉を聞いて、あたしは、「観光地化されすぎないこと」も町の価値なんだ と、はじめてちゃんと理解した気がしました。伊勢のおはらい町・おかげ横丁が「見せる町」だとしたら、松阪の城下町は「住む町に、お邪魔させてもらう」感覚に近いのかもしれません。
まとめ ― 松阪は「半日散歩」がちょうどいい
- 起点: 松坂城跡(野面積みの石垣・本丸からの眺め)
- 必訪: 御城番屋敷(重要文化財・現役の住居・歩き方に配慮)
- 深掘り: 本居宣長旧宅「鈴屋」と本居宣長記念館(特別史跡)
- 散歩: 商人町の路地(魚町・本町・中町)の「リズム」を楽しむ
- 所要: 駅から徒歩で半日(2〜3時間)が目安
伊勢からは近鉄・JRどちらでも片道20〜30分。神宮参拝の翌日の半日、あるいは伊勢入りの日の午後に立ち寄るのにちょうどいい距離感です。アクセスの詳細は 近鉄で東京・大阪から伊勢へ にもまとめているので、参考にしてみてくださいね。
「観光地として整備された場所」だけでなく、「住む町のリズムにそっと混ぜてもらう散歩」を体験したい人にこそ、松阪の路地をゆっくり歩いてほしいなと、あたしは思います。
参考
- 松阪市公式サイト・松阪市観光協会 公式サイト(松坂城跡・城下町案内)
- 文化庁 国指定文化財等データベース(御城番屋敷・本居宣長旧宅)
- 本居宣長記念館 公式サイト(鈴屋・特別史跡解説)
- 神宮司庁公式サイト(倭姫命巡行・古事記の伊勢関連記述)
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