こんにちは、あいです。
この夏、伊勢の街は「エンヤ」の掛け声でいっぱいでした。第63回神宮式年遷宮に向けた第一次お木曳行事が、5月の陸曳から8月2日の川曳まで続いて、いまはすっかり静かな8月半ばに戻っています。
行事が終わったあとって、なんだか少し手持ちぶさたなんですよね。そこで今日は、お祭りの熱が引いたこのタイミングだからこそ書ける話をしようと思います。お木曳行事が、どういう来歴でここまで続いてきたのか、そしていまどこまで進んでいるのか。
この記事は 2026年8月17日時点で確認できた公式発表と資料をもとに書いています。日程や運用はあとから変わることがあるので、参加や見物を考えている方は必ず最新の公式発表をご覧くださいね。

そもそもお木曳は「お祭り」ではなかった
まず、いちばん意外だったところから。
伊勢御遷宮委員会の公式サイトでは、お木曳について「五百年の歴史を持つ」とされたうえで、もともとは社殿を造る御用材を宮域内へ運び入れる作業(労役奉仕)が祭礼化したものと説明されています。
つまり出発点は、お祭りではなく仕事だったということです。
考えてみれば当たり前で、20年ごとに社殿を建て替えるには、山から切り出した大量のヒノキを神域まで運び込まないといけません。重機のない時代、それを担ったのは神領(神宮の所領)に暮らす人たちでした。その運搬という実務が、長い年月のあいだに掛け声を持ち、木遣唄を持ち、揃いの装束を持ち、いつのまにか「行事」の形になっていった。
おじいちゃんにこの話をしたら、「順番が逆に見えるだけで、伊勢の行事はだいたいそうだよ」と言われました。祭りのために働くんじゃなくて、働きが祭りになる。言われてみると、たしかに納得です。

(あたし、ずっと「昔から華やかなお祭りだったんだろうな」と思い込んでいました……。)
なお事典類の記述では、江戸時代にはすでに祭礼としての性格が強まっていて、装飾や催しが華美にすぎるとして取り締まりを受けた記録がある、とも説明されています。この頃には「運ぶ行事」から「見せる行事」への性格の変化が、かなり進んでいたようです。
国が「記録すべき行事」として選んだ日
お木曳の歩みのなかで、はっきり日付が残っている節目がひとつあります。
文化庁の文化遺産オンラインによると、「伊勢のお木曳き行事」は 1966年(昭和41年)3月26日に、無形民俗文化財として選択されています。「白石持ち行事」とあわせて扱われていて、古来より神領民によって担われてきた信仰的な行事であり、古習と儀礼がよく継承されていることが評価されたとされています。
その後、文化庁文化財保護部が『伊勢のお木曳き行事・白石持ち行事(無形の民俗文化財記録第21集)』を昭和50年12月15日付で刊行しています。
ここが個人的にはけっこう大事なところだと思っていて ── 20年に一度しか行われない行事は、放っておくと「前回どうやったか」が人の記憶からこぼれ落ちます。国の記録として残されているということは、次の世代が参照できる土台がある、ということでもあります。
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出典: 逓信省, Wikimedia Commons / Public Domain
「神領民」の枠が、少しずつ開かれてきた
もうひとつの大きな歩みが、誰が曳けるのかという話です。
お木曳を担ってきたのは、伊勢の各町内でつくる奉曳団(ほうえいだん)、つまり地元の人たちです。いまも中心はここで、地元参加者は**旧神領民(きゅうしんりょうみん)**と呼ばれます。
これに対して、伊勢の外から参加する人が特別神領民(とくべつしんりょうみん)。事典の記述によると、この「一日神領民」の枠が設けられたのは第60回のお木曳からで、はじめは神社本庁の関係者のみ、第61回で一部の宗教団体などへ広がり、第62回でようやく一般募集も行われるようになった、とされています。そして第62回では、2年間で約7万7千人が一日神領民として奉曳したと記録されています。
第63回にあたる今回も、伊勢神宮崇敬会や地元の商工会議所などが、第一次お木曳行事の特別神領民の参加案内を出していました。
戦後の遷宮が全国からの奉賛によって支えられるようになったことと、この枠の広がりは無関係ではないのだと思います。「伊勢の人の行事」であることは変わらないまま、外の人が一日だけその輪に入れてもらえる余地が、少しずつ作られてきた ── そういう歩み方をしてきた行事なんだな、と。
2026年、令和の第一次お木曳が終わるまで
そして今年です。
第一次お木曳行事は、陸曳が5月9日から6月13日まで、川曳が7月25日から8月2日までの週末に行われました。外宮領は奉曳車で市街地を進む陸曳、内宮領は御用材をそりに載せて五十鈴川をさかのぼる川曳。同じ「お木曳」でも、街を行くものと川を行くものがあります。
伊勢御遷宮委員会の公式サイトには、2026年8月3日付で「令和8年第一次お木曳行事が終了」と掲載されました。7月31日付でフォトギャラリーに川曳(7月25日・26日)の写真が追加され、7月27日付で8月2日の観覧・参拝の案内が出ていた ── お知らせの並びを眺めているだけでも、この夏の慌ただしさが伝わってきます。
川曳最終日の記録は 川曳が終わった夏 ── 第一次お木曳行事、五十鈴川の四日間を見届けて に別途書きました。この記事は、その一日をもっと長い時間軸のなかに置き直してみる、という趣旨です。

おじいちゃんと数えた「あと何回」
行事が終わった週末、縁側でおじいちゃんと話していて、ふと数えてみたことがあります。
第63回の遷宮は2033年の遷御まで続きます。神宮公式サイトの遷宮予定年表を見ると、お木曳のあとは令和10年(2028年)の鎮地祭、令和14年(2032年)の立柱祭・上棟祭と続いて、令和15年(2033年)に御白石持行事、そして遷御。
「お木曳を見られるのは、あと一回だな」とおじいちゃんが言いました。第二次が終わってしまえば、次のお木曳は20年後です。
そう言われて、ちょっと背筋が伸びました。あたしはこのブログを8年続けるつもりでいるけれど、そのなかで「20年に一度」のものに立ち会えるのは、ほんの数えるほどしかない。今年の夏は、その貴重な一枚を使ってしまった夏でもあるんだなあ、と。
おじいちゃんは「使ってしまった、じゃないだろう。ちゃんと見たなら、それは残ったんだ」と言って笑っていました。
直近の動き ── 第二次は令和9年(2027年)の予定
さて、いちばん気になる先の話です。
伊勢御遷宮委員会の公式サイトには、第二次お木曳行事の日程が次のように掲載されています。
| 区分 | 予定日程 |
|---|---|
| 陸曳(外宮領) | 令和9年5月8日 〜 6月12日 |
| 川曳(内宮領) | 令和9年7月24日 〜 8月1日 |
これはあくまで予定として公表されているもので、公式サイトにも社会情勢により変更の可能性がある旨が添えられています。まだ実施されていない行事ですので、確定した事実ではない点にご注意ください。
神宮公式サイトの遷宮予定年表でも、令和9年の欄には「5月〜7月 御木曳行事(第二次)」と記されていて、両者の内容は一致しています。
第二次の特別神領民の募集については、2026年8月17日時点でまとまった公式案内をわたしは確認できていません。第一次のときは前年から各団体が案内を出していたので、動きが出るとすればこれからだと思います。情報が出たら、このブログでも記録するつもりです。
御用材そのものがどこから来て、どう社殿になっていくのかは 御用材はいま、どこから来るのか ── 神宮備林と地元木材業の現在地 に、遷宮全体の流れは 第63回神宮式年遷宮の概要 - 8年の旅のはじまり にまとめてあります。
まとめ
- お木曳はもともと御用材を運ぶ労役奉仕で、それが祭礼化したものと公式に説明されている(約500年の歴史)
- 1966年3月26日、「伊勢のお木曳き行事」は無形民俗文化財として国に選択され、記録が刊行されている
- 参加の枠は第60回以降ゆっくり開かれ、第62回では2年間で約7万7千人が一日神領民として奉曳した
- 2026年の第一次お木曳は陸曳5月9日〜6月13日、川曳7月25日〜8月2日で行われ、8月3日に終了が公表された
- 第二次は令和9年(2027年)5月8日〜6月12日(陸曳)、7月24日〜8月1日(川曳)が予定として公表されている
500年前の人が木を運んだ道を、今年もまた人が歩いた。それだけのことなのに、書き出してみると意外と長い話になりました。
来年の初夏、また街に法被が並ぶ頃に、この続きを書きますね。
それじゃ、また次の記事で。
参考
- 伊勢御遷宮委員会 公式サイト「伊勢の民俗行事『お木曳行事』」および トップページ お知らせ(2026年8月3日付「令和8年第一次お木曳行事が終了」ほか)/2026年8月17日閲覧
- 伊勢神宮 公式サイト「遷宮予定年表|第63回神宮式年遷宮」/2026年8月17日閲覧
- 文化庁 文化遺産オンライン「伊勢の『お木曳き』行事」(無形民俗文化財・1966年3月26日選択)/2026年8月17日閲覧
- 文化庁文化財保護部『伊勢のお木曳き行事・白石持ち行事(無形の民俗文化財記録第21集)』昭和50年12月15日
- 伊勢神宮崇敬会「第一次御木曳行事『特別神領民』参加の受付について」
- 「お木曳き」(事典項目・Weblio 辞書 収録)/一日神領民制度の経緯および第62回の参加実績について
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